福井県議会 2021-12-24 令和3年第419回定例会(第5号 閉会日) 本文 2021-12-24
人間魚雷と言われた回天が潜んだ入り江もあったし、海に潜って魚を追っていたら、突如沈んだ船が目の前に現れたりもしました。南の島の熱い過酷な戦いの一端を突きつけられ、国や御家族を守りたいがために暑さと緊張の中で戦っておられた方々の状況やお気持ちを想像し、畏敬の念で満ちました。 沖縄南部は、やはり暑い南の島の熾烈な地上戦の場所です。
人間魚雷と言われた回天が潜んだ入り江もあったし、海に潜って魚を追っていたら、突如沈んだ船が目の前に現れたりもしました。南の島の熱い過酷な戦いの一端を突きつけられ、国や御家族を守りたいがために暑さと緊張の中で戦っておられた方々の状況やお気持ちを想像し、畏敬の念で満ちました。 沖縄南部は、やはり暑い南の島の熾烈な地上戦の場所です。
吸い込まれそうなほどの美しい海に囲まれた大津島、ここには太平洋戦争末期に造られた人間魚雷、回天に関する資料を集めた回天記念館があります。回天は、魚雷に大量の爆薬を搭載し、人間が操縦して敵艦に体当たりするという特攻兵器です。当時、窮地に立っていた祖国を守るため、多くの若者が出撃し、南の海に散っていきました。 記念館で最も印象に残ったのが、搭乗員塚本太郎少尉の肉声であります。
先ほど申し上げた駆逐艦「澤風」は今の魚市場の防波堤として、日本海方面にあって人間魚雷「回天」の搭載艦となっていた駆逐艦「汐風」は現在の1号埠頭、いわき・ら・ら・ミュウの先端でそれぞれ沈められ、防波堤の礎となりました。 その後、魚市場の拡張のため「澤風」は引き揚げられ、紆余曲折があったようですが、熱意ある皆様の御尽力で三崎公園にタービンが設置され、歴史を伝えています。
先日、山口の回天訓練基地、そこにも資料館があって、昔の特攻に向かう前の青年の音声が残されたレコードが見つかったということで、展示と音声が一緒に流れるようなものも見ましたが、そういった貴重な歴史の遺産、歴史が消え去ってはならない大切なことをこれからも伝えていってください。
まさに回天回運の策を立てんとす」。高杉晋作の言葉です。まさに今は日本存亡のときである。天をひっくり返すような策略を立てよう。 高杉の回天回運の策とは倒幕の策のことかもしれませんが、今まさに、新型コロナウイルスにより日本は、山形は存亡のときを迎えています。倒幕の話はまず置いて、今こそ全ての力を結集し、回天回運の策を持ち寄って新型コロナウイルスの諸課題に取り組むべきときであります。
山口県を連想いたしますと、地理的には本州最西端に位置し、三方を美しい海で囲まれ、歴史ある維新回天の地であり、県魚に指定されているフグは、日本一の市場取扱量を誇っていることは余りにも有名であります。さらに、天然記念物の数も日本一。豊かな自然、そしてすばらしい資源を有している本県でございます。 しかし、余り知られていないのは、県民一人当たりのビスケットの消費量、支出金額は全国県別で堂々の全国一位。
長州藩関係からは膨大な「防長回天史」が出され、水戸藩関係から「水戸藩史料」が出され、土佐藩関係からは浩瀚な「土佐勤王史」が出されているのに比べるとき、あきれるのである。今にきっと薩摩人は維新運動にはほんの端役を務めたにすぎないというように考えられてくるに違いない。既にその傾向は見えるのである。維新時代すらこんな状態であるから、その以前の時代の史書の乏しいことは言うまでもない。
本県の戦争遺跡の特徴は、第2次世界大戦の終戦間際に、本土決戦に備えて、南国市周辺に集中してつくられたトーチカ群を初め、海岸線には人間魚雷と言われた回天や、震洋という海上・海中特攻の基地が置かれていることです。しかし、これらの遺跡は開発や風化に伴い姿を消しつつあります。福岡県では、県の文化財保護課に戦争遺跡調査指導委員会を設置、戦争遺跡カルテの作成に取り組んでいます。
百五十年前、我が山口県、長州は、全藩焦土となっても幕府の横暴には屈しない、こういうふうな気概を見せて、維新回天の先駆けとなり明治維新を切り開き、なし遂げました。 明治維新百五十年を起爆剤にするとか、維新胎動の地ののぼり旗を掲げるのもいいですが、何よりもまず米軍と安倍政権の横暴勝手に屈せず、金の魔力などはね返すべきではないでしょうか。
港やコンビナート企業の歴史、瀬戸内の島々の魅力、地方都市では初となった水素ステーションへの御案内、さらに、回天訓練基地の跡があって、平和の大切さを静かに次の世代に伝えていくために大津島のこともしっかりとアピールしていただきたい。それらの目的のためにも活用される場所として、徳山ポートビルを整備してほしいという御意見は、建てかえが決まったときから多くの市民の声でもありました。
県内にも当時の陸軍歩兵四十七連隊や海軍航空隊、回天訓練基地を初め、大分市の航空廠への空襲、津久見市保戸島の小学校への爆撃、あるいは防空壕で十二歳という短い命を終えたムッちゃんの逸話など、次世代に語り継ぐべき戦時の歴史が各地域に刻まれております。 県内の小中学校では、毎年八月に平和授業を実施しています。教員の方々もさまざま工夫をされています。
果たして、高杉晋作を初め、松陰門下のあまたの俊秀が、あの維新回天の偉業をなし遂げました。 今、改めて今日を思うとき、この詩の重みをひしひしと感じます。私たちも、この精神の万分の一でも受けとめ、行動したいものであります。 そこで、お伺いをいたします。 自国の歴史に誇りを持ち、日本の次代を担い、海外にも雄飛できる人材の輩出に向け、愛媛の教育にかける知事の思いは何か、お聞かせください。
また、平和教育ということでは徳山大津島の回天基地があり、日本の代表的な木の名橋である岩国の錦帯橋、大内文化を今日に伝える山口の瑠璃光寺五重塔など、修学旅行で訪ねれば子供たちが喜び感動するであろうと思われるところが本県には多々あり、最近の修学旅行のおおむね六割を占める体験学習型も、新たな人気の産業観光も、すぐれた魅力的なプランを提供することが可能と見ております。 そこでお尋ねであります。
対潜学校練習艦として太平洋沿岸警備に活躍していた駆逐艦「澤風」と日本海方面にあって人間魚雷「回天」の搭載艦となっていた駆逐艦「汐風」の2隻は、日本再建の願いを込めて小名浜港へ回航され、「澤風」は今の魚市場の防波堤として、また「汐風」は現在の1号埠頭、いわき・ら・ら・ミュウの先端でありますが、その中央付近で礎として役割を果たしております。
全国から二十五の清港会のメンバーを周南にお呼びし、総会の後、コンビナートが広がる瀬戸内海のクルージング、周南バルクターミナルの見学、大津島の回天基地や記念館の見学などを通し、山口県周南清港会の会長として、天然の良港、徳山下松港のすばらしさ、瀬戸内の穏やかな海の青さと点在する島の美しさを紹介したいと思っています。 三つ目は、全日本選抜還暦軟式野球大会の開催です。
そこでとれる魚介類、沖に浮かぶ島々、回天訓練基地も残っていますが、その歴史や景観、さらに天然の良港である徳山下松港や工場群──コンビナート、それらを含めて、瀬戸内はもっともっと自慢できる魅力にあふれていますと瀬戸内にこだわってまいりましたので、日本海側の方には大変申しわけありませんが、まさにこの瀬戸内の魅力を最大限に生かしたまちづくりに、知事と同じ方向性で取り組めることは、この上ない喜びです。
この維新回天のとき、松井知事におきましては、決めることができる、実行することができる首長として御活躍いただきたいと思います。私も、微力ながら全力を尽くしたいと思いますので、皆様、これからも御指導、御鞭撻よろしくお願いいたします。 以上で、私の初めての一般質問を終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。 ○副議長(岩下学君) 次に、後藤太平君を指名いたします。後藤太平君。
維新後表舞台に立てなかったが、間違いなく維新回天の原動力は土佐人でした。また、その後の藩閥政治から政治への参画、行政への参画という坂本龍馬が船中八策で唱えた万機公論にしすべしを地でいく議会開設要求などへつながる自由民権運動もまた、植木枝盛や板垣退助など多くは高知県人が中心でした。日本の歴史史上、国の形を変えるきっかけや原動力は土佐人でございました。
明治維新という維新回天の偉業がなし得たのも、こうした和魂洋才が花開いたからこそではないでしょうか。 しかし、戦後の日本では才、つまりスキルの部分の教育ばかりでございます。だからこそ、外国とさして変わりのない利己主義的な社会になっているのではないでしょうか。 私は、数年前から論語や陽明学を学んでいます。
日本の行く末を案じ、外圧を恐れず、果敢に行動した高杉、西郷、坂本龍馬など維新回天の志士たちに思いをはせたとき、尖閣諸島や北方領土、北朝鮮問題で何一つ適切・迅速な対応ができず、対外的な信用を大きく失墜させた菅内閣の外交政策は、多くの国民に不安を募らせたばかりか、日本という国の誇りすらも失わさせる結果となりました。